精神科行きが決定するまで
精神科を受診するまでの経緯です。
過眠の症状はあっても、睡眠時無呼吸症候群(SAS)とナルコレプシーの可能性は消えてから一年。会社で配置換えがあり、新しい部署になりました。が、そちらでの業務に全く慣れることができず、高校時代のような昼間の眠気が再発しました。
数分という単位でなく、時間単位でうとうとしてしまう。これはまずい。
もう何科を受診すればいいかわからなかったので、以前お世話になった内科へ行って正直に現状を話しました。肺炎をこじらせたときに、とても丁寧に対応してくださったので、邪険にされることはないだろうという信頼だけで行きました。
「病気かどうかはわかりませんが、それは……つらいでしょう」
と受け入れてくださってちょっと泣いたことを覚えています。そこでは血液検査だけ行って(異常なしでした)大学病院への紹介状を書いていただきました。
大学病院はある程度の知名度と、アクセスのしやすさだけで選びました。
最初は総合内科へ。
総合内科の先生は、視線も合わず言葉も雑で、個人的にはあまり好感を抱けず、先行きの不安を覚えました。極めつけは最後に
「睡眠時無呼吸症候群の可能性があるから、そちらの科へ行ってもらってまず入眠検査をしましょう」
と言われたこと。……紹介状の中を確認こそしていないけれど、書いてあるはずだ……と病院選びを間違えたかもしれないと思いました。検査はしてあること、異常が認められなかったことを伝えると、あっさり精神科行きが決定しました。
ショックを感じたことも確かでしたが、やっぱりか、という気持ちが大きかったです。仕事でのつまづきも重なって気分がとことん沈みがちで、業務中勝手に出てくることもあったため、そちらも診てもらえるかもしれない、と少しほっとしたりもしました。
呼吸器内科を受診
病院へ行こう、と決めたものの、何科を受診すればいいのか。
症状が不眠であれば心療内科、精神科に迷いなく行けるのですが、過眠となるとそう簡単にはいきません。調べてまず一番に考えたのが睡眠時無呼吸症候群(SAS)でした。
同期にはナルコレプシーという診断が下りましたが、わたし自身のこれはナルコレプシーではないだろうと考えていました。理由として、同期は大好きなアーティストのライブ中(爆音)でも寝落ちてしまうことがあると言っていたこと。わたしは自分の楽しんでいる活動中に眠ってしまったことはありません。
参考までに日本ナルコレプシー協会のHPに記載の症状を引用します。
ナルコレプシーは「居眠り病」といわれるようにその最も目立つ症状は、時と場所に関係なく居眠りを一日に何回も繰り返えすことです。
次に、大喜びしたり「やった!」「しめた!」と得意になったときなど喜怒哀楽の感情の激しいとき急に顔や首、手足の力がかくんと抜けるという症状があり、この間意識は正常で周囲の話が理解できます。
この2つの症状が確実にあって何ヶ月も毎日続いていればナルコレプシーの疑いが十分にあります。
他の症状としては、寝入り際に鮮明な怖い夢を見たり体を動かそうとしても動かせないいわゆる金縛りにあう、日中に居眠りをする反面、夜間に熟睡できない等の障害があります。
なお、これらの症状はすべてが同一時期に発症するのではなく時間をおいて発症するのが普通です。
※引用元:http://narukokai.or.jp/about_nalco.html
こちらに記載の、脱力症状も経験がないのでまず違うだろうと思っていました。
ただし念のためということで、自宅近くのSASをメインに、ナルコレプシーの治療も行っているという睡眠外来を見つけて電話で初診の予約。確か診察まで二週間くらいかかりました。
SASがメインの病院だけあって、待合室でみかける方は体格の良い40代以上の男性がほとんどでした。
どういうときに眠気を感じるか(TVを観ているとき、運転中、人と会話中)、実際に眠ってしまうかというような問診票を書いて、それを元に診察。入眠、中途覚醒等の症状はないけれど、熟眠感がないことも伝えました。診察結果としては、年齢、体格からしてSASとは考えづらい。ただし、咽が細く、可能性としてはゼロではないと。全く太っていなくても、咽が細めの女性は呼吸をしづらく、SASの症状を示すことがあるそうです。どちらにせよ明らかに過眠の傾向があるということで、検査を行うことになりました。順番待ちで一ヶ月ほど間が空きました。
検査は土曜日の夜から日曜の朝にかけて泊まりがけで行われます。費用は一万強。この類の検査としてはうちは安いほうだとお医者さんが言っていたので、よその病院だともう少しかかるのかもしれません。
お夕飯持ち込みで20時就寝5時起床。寝相、脳波、いびきをモニタリングされます。
計測のために体中にケーブルをつけられます。頭にケーブルをつけるために、髪の毛をぱりぱりにのりで固められたのが印象的でした……。消灯されてすぐ眠って、朝に看護師さんが起こしてくださるまでぐっすり。病院のシャワー室でのりを洗い落として終わりです。病院によっては、このまま引き続き昼間の検査を行うところもあるようです。
検査結果を聞きに一週間後、もう一度通院しました。
結果は、真っ白。
「……君、なんで検査受けたんだっけ?」
とのお言葉まで頂戴してしまいました。わたしの脳波形は、診ていただいたお医者さんが診察を始めてこの方、初めて見るような綺麗な形で、全く異常が認められなかったそうです。
検査入院の間、自分でも久しぶりによく寝たという実感があったため、その影響はないのかとちょっと食い下がってみましたが、特にSASの症状はぐっすり寝ているときにこそ顕著に表れるそうです。筋肉が弛緩するため、という説明を受けた気がします。
過眠の症状がある人は具体的な症例名が降りないことが多い、とも教えていただきました。
手詰まり状態……となり、このときはこれでおしまいでした。
改めて、気力の問題なのかもしれない。
そう考えて、いったん病院を頼ることはやめました。その頃、仕事が繁忙期を迎え、本当にどうにもならなくなったこともあります。わたしの場合、全力でやっても明らかにこなしきれない量の業務が目の前にあるとあまり眠気は来ません(これも気力の問題かと考えていた理由の一つです)。
眠気が抜き差しならなくなって、精神科の戸をたたくのはこの一年後です。
通院へ至る経緯
毎日授業で寝ている人。
あまり親しくしていなかった同級生から見たわたしのイメージは、きっとこうだったと思います。我がことながら、高校時代は異常にまでに寝ていました。体育以外の授業はほとんどうとうと。六時間授業のうち、六時間寝ていたこともあります。
不思議なのは、休み時間は全く眠たくないこと。
友達から呆れ気味に受ける注意に、本当はとても傷ついていました。だって自分では寝ようとは少しも思っていなかったから。気力の問題だ、とはいろいろな方に言われたのですが、わたしの場合、居眠りから覚めたときに初めて自分が眠っていたことに気づく、という感覚です。気力が入り込む余地がないのです。
ただ、夜更かしをしていない、とは言い切れない部分もあったため、そのせいだろうと思っていました。
大学に進学してからも傾向は変わらず。だけれど自分の興味のある分野の授業や、お休みの日に眠気が来ることはほぼないため、やはり気力の問題なのだろうと漠然と考えていました。
本当にまずいかもしれない、と焦り始めたのは就職してからです。
本配属前に研修期間があったのですが、構わず眠ってしまうのです。研修とはいえお仕事はお仕事。緊張を伴うはずのお仕事ではまさか寝ないだろうと思っていたのにだめでした。幸い(?)同期たちは比較的寛大で、眠っているわたしを起こしてたしなめてくれました。同期にはもうひとりわたしと同程度に居眠りがひどい子がいて、その子とセットでよくからかわれていました。よく言われていたのが、「起きているときの態度と寝ているときが違いすぎる」。先述したとおり、寝ようと思って寝ているわけではないので、本当に居眠りする直前まで態度はきちんとしているのです(自分で言うのもなんですが、わたしは姿勢が比較的良い)。それが突然がこんと首が落ちるのですから、とても不思議がられていました。就職してからはできうる限りの早寝、6~7時間睡眠を心がけていたので、心当たりが全くありません。
本配属されてからも状況はあまり変わらず。
先輩や上司から別に呼び出されて叱られるようになりました。
作業中、会議中に構わず眠ってしまうのでやる気がないのでは、と言われ、自分でもどんどん自信を失っていきました。
ちょうどその頃、もうひとりのよく寝ていた同期から、ナルコレプシーの診断がおりた、との連絡を受けました。
わたしのこの過眠も、何かしらの病気によるものではないか?病気だとしたら、何かしらの治療で改善するのではないか?そう考えて、通院を決意したのが2016年の4月のことでした。
『君の名前で僕を呼んで』
眩しい色彩がひと夏を彩っていた。にぎやかと言っていいくらい色であふれている画面なのに、印象として残るのは静けさ。少しけだるい、懐かしさすら感じる時間の中にころころとピアノの音が響いていった。
観終わったあと、胸を衝かれて言葉がでてこなかった。自分自身の過去の、もう乗り越えられないとすら感じた事柄をひとつひとつ思い出してみる。そのどれもがいまややわらかく、丸みを帯びてすらいるけれど、その瞬間は確かにくっきりとした輪郭を持っていた、ちょうどこの映画で描かれた出来事のように。胸に押し寄せる感情を痛いくらいにかみしめながら、この瞬間が二度と訪れないこと、やがて思い出のひとつになることはあっても忘れるなんてことがないことをどこかで自覚していた。全部、わたしにとって、わたしにとってだけ特別な大切な記憶たち。
あまさとやさしさをふくんで、一瞬を永遠にするように名前が呼ばれるのを見つめていた。
四月一日の前に カードキャプターさくらの根底を流れるもの
四月一日。わたしにとってこの日はエイプリルフールなんかじゃなく、ずっとカードキャプターさくらの主人公、木之元さくらちゃんのお誕生日です。
少しずつグッズ展開が広まってきたと思ったら、ついに新シリーズの指導。一ファンとして、とてもうれしいです。人の口の端にのぼることも増えて、わたしは単純にとてもうれしかったのです。けれど時々、冷水を浴びせられた思いをすることもありました。
「さくらのお兄ちゃんと初恋の人が結ばれるって、今考えるとやばいよね」
「親友もレズじゃん?」
どちらもわたしが直接言われたことのある言葉です。前々からちらほら聞かれていたものではあるのですが、カードキャプターさくらという作品への関心が高まるのと比例するように、よく見かけるようになったと感じます。こういう類の意見を聞くたび、確かにそうかもしれないけれど、そうじゃないのに、と自分でも名状しがたいもやもやを抱えていました。今日はどうしてわたしが違和感を覚えてしまうのかの話をします。
漫画作品を描く際には、何をテーマにして物語を構成するかが考えられます。これは別にCLAMPに限ったことではありません。ただ、CLAMPは、作品に表側に見えるテーマとは別に『裏テーマ』を設けるようにしているそうです。(ちなみに、表側のテーマは『根拠のない自信』だそうです。)
『さくら』に関しては、この表現が正しいかどうかわからないんですが、「マイノリティに対して優しい作品にしよう。」ということを最初から話していたんです。
実際に作品内には裏テーマを体現するかのようにいろいろな関係性が織り込まれています。さくらの兄、桃矢と、初恋の人、雪兎との関係。さくらを見る知世の視線。雪兎に恋とも憧れともとれる思いを抱く小狼。こうした同性への思慕だけでなく、寺田先生と利佳の関係など、教師(教育実習生)とその教え子との恋愛模様も複数存在します。
ここにおけるマイノリティは恋愛(もしくはそれに準ずる感情)だけに関するものではありません。これをマイノリティと言い切ってしまうのは問題があることを承知で言いますが、たとえば木之元家は母親が鬼籍に入っています。小狼の父親も他界しており、事情について彼は語ろうとしませんが、家には父親の写真が一枚もありません。知世の家も母親しかおらず、父親の話を聞いたことがないと言うさくらにも、知世は詳細を言わずはぐらかします。物語の中でメインを貼る三人の小学生が、両親がそろい、子供がいて、といういわゆる”一般的な家庭”で育ってはいません。さらに小狼はその家すら出ており、日本という彼にとっての異国で一人暮らしをしています。
ここで大事なことは、主人公であるさくらを含めて、登場人物の誰もがそれを受け入れていることです。さくらは、たとえば雪兎に対する小狼の気持ちを知ってもそれをおかしいとは言いません。どころか、ライバルとして対等な存在と認めています。一人で家事をこなしていることには素直に感嘆もします。また、アニメ版では小狼のいとこの苺鈴が途中から登場し、自らを小狼の婚約者であると宣言します。さくらたちはみな驚きますが、そのことを「おかしい」と断ずる子はいません。この作品の中には偏見の目を持つ登場人物はいないのです。
アニメの監督を務めた浅香守生さんは、『みごとなまでに悪い子がいない』と彼らを評しています。それはCLAMPの『マイノリティに対して優しい作品にしよう』という思いが詰まっている故です。彼らはまたこうも言っています。
(世間一般で健全な関係と呼ばれるものからずれているものに)さくらちゃんの姿を見て、何かを感じてくれたらいいな、と。
カードキャプターさくらという作品は、自分が考える”普通”ではないものに出会ったときの接し方を教えてくれる、考えさせてくれる、そんな作品なのです。
カードキャプターさくらはいうまでもなく”かわいい”作品です。主人公のさくらの前向きさ、ケロちゃんのころんとしたぬいぐるみのようなフォルム、毎回変わる衣装のデザイン。表面的なかわいさをあげれば暇がありません。ただ、そのふんわりとしたかわいらしさを根底で支えているのは、どのような人物に対しても偏見なく注がれる温かい視線によるものが大きいとわたしは考えています。
CLAMPは自作品の二次創作について、制限を設けないと明言しています。カードキャプターさくらのどこを切り取って、どのように想像をふくらませるか、それは読み手の自由です。(実際に桃矢、雪兎について、友情ととってもそれ以上の関係と取ってもいいという言及があります)ただし、真っ当なカップルが小狼とさくらくらいしかない、カオスである、という嘲笑半分の語り方は少し違う、とわたしは思うのです。
長々と書き連ねましたが、おつきあいくださってありがとうございます。
さくらちゃんのお誕生日をまたこうしてお祝いできること、幸せに思います。
なお、文中の引用文は『カードキャプターさくら メモリアルブック』に依りました。
ごあいさつ
しばらくまとまった文章を書いていませんでした。
自分の中の言葉が干上がったような気持ちになりましたので、久しぶりにブログをすることにしました。
日々の中で思うこと、夢だったのかもわからないほどにうつらうつらと見た幻などを書けたらと思います。